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女子
実際行ってみて、学校での空間とは全く違う空気に少し驚かされた、静かな空間だった。自分としても結構この空間は好きだった。坐禅の時間がきた。いつもは明るすぎてウルサイくらいの同級生が、いっせいに静まり返った。
「心をはだかにする」というお坊さんの言葉を思い出した。それを考えていくうちに、私の心が空っぽになっていった気がする。すると、風の音、鳥の声、木の葉のさえずりと様々な自然の音が、耳を通して空っぽの心の中に入っていくのが分かった。こうして坐禅を通して学んだのは、沈黙の中で自分の心と呼吸を一つにしてみるということです。そうすると、普段のあわただしい日常生活から抜け出して、冷静沈着の場にいるもう一人の自分を見詰め直す機会でもあるなと思った。
お寺でのもう一つの行いは、奉仕作業だと思う。二日目の朝、それぞれが分担を決めて取りかかった。私の分担した場所は、眺めの良い裏の方の階段だった。けっこうな階数だった。いつもは、適当に掃除している私だが今回は、まじめにゴミを残さないようにとまで思って掃除していた。掃除が終わってから、少し心が軽くなったような気がした。お坊さんにもほめられ少し嬉しくなった。
一泊二日の研修会はあっという間だった。最初の重い心がどこにいったかのように、すがすがしい気持ちになっていたから不思議だ。今回の体験を通して、自分を見詰め直す良い機会だったと思いました。日頃乱れていた自分の行動が、少しだけまっすぐになったかなと思いました。
女子
一番びっくりしたのは、朝食だった。「サバ」という木の板の上に食べる前にご飯を4・5粒置くのは、初めての体験だ。お椀にお茶をいれて、漬物で洗ったりすることも初めてした。「頭で考えないで、体験してみなさい。」と言われて、「何事も体験してみればいいんだ。」と思った。
坐禅は決して楽しいものではなかった。「早く終わって。」と思えば思うほど時間は長くなり、足の痛みがひどい時は特に長く感じた。実際のところ、一回の坐禅の時間は二0分くらいだったと思うけど、私にはまるで時が止まっているかのように感じた時もあった。
二日目は少し変わった自分がいた。自分を少し励ますことができた。でもそれは自分に優しくするのではなく、反対に自分に厳しくしているような気がした。足が痛くて疲れたことに変わり無かったけど、少し我慢することから開放されたように思う。自分に優しくすることによって楽になるとは驚きだった。
初めての辛い経験だったけど、わずかな進歩をすることができて良かったと思う。
女子
一番辛かったのは何といっても「坐禅」です。あの坐禅は何度もやめてやろうと思いました。足や腰が痛かったし、また、あまり集中できていない自分がどこか嫌でどうしようもなかったからです。自分の呼吸を数えていても頭の中は空っぽにならず、「家に帰りたい。」とばかり思っていました。でも、そういう自分から逃げず頑張れたことは、これからの自分に必ず「プラス」になったり「自信」につながると思うので良かったと思います。
研修会の夜は、とても神秘的な心に残る夜でした。何が神秘的だったのかというと、遠くに見える宍道湖の真上に満月があったんです。その満月のちょうど真下だけは月の光が水面に照りつけていました。今まで一度も目にしたことの無いこの光景に、私は胸を打たれたような気がします。そして、この夜景を見ながら友達と今思っていること、悩みなど数時間に及んで語り合いました。研修会での感想にこれを絶対に書こうと思っていました。
坐禅とかだけでなく、一泊二日の研修の間に体験したものがいつか私の励みになったりする日が来るといいと思います。食事についても、普段の我々がいかに贅沢なのかが身にしみて分かりました。坐禅はもう嫌だけど、また研修でいろんな体験をしてみたいです。
女子
前の日の夜、結局ほとんど寝れなくて、二日目の朝は最悪だった。朝の坐禅の時は、目をつむって寝かけた。朝ご飯は、食べたらはくかも・・・と思いながら汁とお茶で流し込んだ。でも、研修会から帰って、今の私には違う考えがある。
寝れなかったのではなくて、寝なかったのではないか。私が寝なかったのではなかったか。正直、坐禅も思い描いていたものと違っていた。もっと雰囲気があって、自然にその中に入っていけるようなものだと思っていた。でも実際は、結構みんな動いたり話したりしていた。だからこそ次の朝の坐禅にも気が入らなかった。でも、これもまた、坐禅が出来なかったのではなく、私が坐禅をしなかっただけではないか。何よりも私自身が坐禅の雰囲気を作ろうとしていなかった。みんなが動くのが、話すのが、どうして私に分かっていたのだろう。私の意識が散漫になっていた証拠ではないか。
私がこの研修会で学んだことは、本当に当たり前のことだった。「自分でしなくては、何も出来ない」ということ。でもそれは、裏を返せば、「自分でしようとすれば、何でも出来る可能性がある」ということ。
これからの自分に、一番大切にしていきたいことだと思う。 |