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謹賀新年

更新日:2015.01.01

年頭法話 ~善友(ぜんゆう)~2015_eto

 ある時、お釈迦さまに、弟子のアーナンダ(阿難尊者)が尋ねました。「私たちが善き友、善き仲間とともにあることは、この聖なる道のなかばにあると思いますが、いかがでしょうか?」 当時、お釈迦さまのお弟子たちは集団で修行をして暮らしていました。修行者同士で切磋琢磨しているからこその質問だと思います。
 お釈迦さまは答えました。「アーナンダよ、そうではない。そのような考えをしてはならぬ。善き友、善き仲間とともにあることは、聖なる道のなかばではなく、そのすべてである。」「善き友をもち、善き仲間の中にある者は、聖なる道を修め、成就することは、もはや約束されているからだ。」 確かに私の修行時代を振り返っても、一生懸命に修行に打ち込んでいる人の影響は計り知れないものがありました。
 お釈迦さまはさらに答えました。「アーナンダよ、もし人々が私を善き友とすれば、老いねばならぬ身にして老いの苦しみから解脱する。病まねばならぬ身にして病の苦しみから解脱する。死なねばならぬ人間にして死の苦しみから解脱することができる。このことによっても、善き友をもち、善き仲間にとともにあることは、この聖なる道のすべてなのである。」 修行者は師匠に似るものです。長くなればなるほど似てきます。
 これは「雑阿含経」の一節で、「阿含経典による仏教の根本聖典」(増谷文雄著)に紹介されています。私たち、何か素晴らしいものに出会ったり、かけがえのない体験をするとき、誰かにそれを伝えたいと思いますね。一緒に感激してくれる人がいることは大きな喜びです。それは家族かも知れないし、友かも知れない。
 たった一人でも「善き友」があることは素晴らしいことです。善いことをするときに一緒にいる友が「善友」です。悪いことをするときに一緒にいる友は「悪友」です。自分は日々何をしているか、そこに誰がいるか、とても重要なことです。
 わざわざ年末に発表された内閣府の世論調査によると、日本人の中国や韓国への親近感は調査開始以来、最低になったそうです。双方のプロパガンダが奏功か。千年を超える歴史と文化を共有している隣国でありながら悲しい限りです。
  昨年、中国から若い修行僧2名が一畑薬師に滞在しました。感激したことは、漢文のお経を一緒に称えることができる。禅の食事作法も自然にそろう。坐禅や研修もぴたりと呼吸が合う。言葉や習慣の違いよりも、同じ仏道の「善き友」であることを実感したひとときでした。
 本年は「未」年です。羊は群れをなすので、家族や集団の安泰と平和に暮らす願いを表しています。仏教の根本は「和」、民族や国家を超えた普遍の願いです。本当に仲良くありたいものです。

飯塚大幸(一畑薬師管長)