お百度(おひゃくど)とは、仏様に祈願をするために百度お参りをすることです。一畑薬師では、ご真言「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を唱えながら、薬師本堂を時計回りに百度回るのが伝統です。「お百度を踏む」又は「庭草を踏む」とも言います。ご真言は、低い声で唱えても、心の中で唱えても結構です。雑念を持たず一心にご真言を唱えてお百度を踏んでください。

● 時計回りに回ってください。本堂の正面では立ち止まり、合掌一礼をします。
● 両手は、又手当胸(右手の上に左手を重ねて胸に当てる)を基本とします。※下の写真
● 自分の体調に合わせて無理をせず、一日が困難なときは二日に分けてください。
● 時間のない方は、三回あるいは一回でもお百度を踏んでお帰りください。
● 裸足でお百度を踏まれた方は「お百度足洗い場」で足を洗ってください。

 

法話「お百度」

 「お百度」をご存じでしょうか? 本来は「お百度まいり」と言い、同じ寺社に百回お参りをして祈願をするという意味です。転じて、百回お堂の周囲を回るとか、門よりお堂までを百回往復するなど、個人的な願掛けの行として伝えられています。
 一畑薬師でも、薬師如来をまつる本堂の周囲を時計回りに歩いて百周する独自の「お百度」があり、古来、多くの人々によって行われてきました。歩くとき両手を振るのではなく、合掌するか叉手当胸し(両手をかさねて胸に当てる)、ご真言「おんころころせんだりまとうぎそわか」を唱えあるいは心に念じながら歩きます。熱心な方は裸足です。
 本堂正面では立ち止まって合掌礼拝し、途中で回数を間違えないようにそろばんのような木札を繰ることもあります。本堂の背面には、誰が作ったのか木札のそろばんがいくつも奉納されていて人々に使われています。そこは薬師如来にもっとも近い場所なので、同じく立ち止まって合掌礼拝する人があります。これらの作法はお寺が細かく示しているわけではなく、信仰する人たちにより次第に確立されてきたようです。
 人に見られないように行うとよいとも言われ、夜通しであったり早朝であったり、黙々と一心不乱にお百度を踏む方の姿があります。深夜の境内で偶然に遭遇するとき、あらためて信仰の力を垣間見る気がします。
 今日では安全な明るいうちのお百度をお勧めしております。また「二才児まいり・四才児まいり・十三まいり」など、大きな行事の際には、儀式としてご真言を唱えながらゆっくりと1回だけ「お百度」ならぬ「庭草踏み」を行っております。靴を履いても結構ですので是非多くの方に体験していただき、古き良き伝統を受け継いでいただきたいと思います。
 ところで、願をかけるとか、祈願をすること、祈ることは神仏への「おねだり」であってレベルの低い信仰ではないか? と考えている人があるようです。かつて「百寺巡礼」で五木寛之先生がお越しなったとき、「現世利益へのそういう意見に対して、どうお答えをされますか?」と問われたことがありました。
 そのときも申し上げたのですが、信仰の入り口は人それぞれです。身内の死もあれば、自分の病気もあります。わらをもつかむ気持ちで神仏にすがるのです。人事を尽くして神仏に拝む。何不自由のない第三者からみれば、確かに「おねだり」に映るかも知れませんが、それは明らかに間違いです。
 願をかけている人は真剣であり、祈っている人は真摯であり、その姿にはなすべきことをなし尽くした心境がうかがえます。「かなうか、かなわないか」という心を越えたものを信仰する方から感じるのです。
 一休禅師の歌に「分けのぼるふもとの道も多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」があります。山の入り口はいくつもあり、上る道も緩急さまざまですが、高みに至ってのみ見える景色があるはずです。自らの心を見つめ、自ずから浄められるとき、本当の安心があります。