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12月の言葉「善き友とともに」

更新日:2025.12.01

皆様こんにちは。管長(住職)の飯塚大幸です。境内の紅葉もさらに色を深め、はや師走になりました。お忙しい毎日お過ごしのことと存じます。

今年は、一畑薬師にとっても私自身にとっても、特に普通ではないことが重なりました。本当にお蔭様であり、あらためて心より御礼を申し上げます。有難うございました。

 「善き友とともにあることは、この聖なる道のすべてである」 これは原始仏典『雑阿含経』に見える、お釈迦様の言葉です。私が中学生で弟子入りした、京都の寺の色紙にも書かれていました。

ある日、弟子のアーナンダ尊者は問いました。「善き友をもつことは、この修行の道の『半分』ほどに当たると思います。いかがでしょうか。」 お釈迦様は、それを聞いて静かに微笑まれ、諭すように答えられました。「アーナンダよ、そう言ってはならない。善き友をもつことは、聖なる道の『半分』ではない。善き友をもつことは、この聖なる道の『すべて』である。」

私たちはふと思います。お釈迦様の「すべて」とは言い過ぎではないか。アーナンダ尊者の「半分」の方がしっくりくる。なぜなら、あとの「半分」は自分の力だってあるのだからと。

なぜ「すべて」なのか。ここに、お釈迦様の見つめられる「縁」の深さがあるように思います。私たちはつい、「人の助け」と「自分の力」と分けて考えます。けれど、お釈迦様の目から見れば、自分の力でさえ――生んでいただいたご縁、育てていただいたご縁、学ぶ場をいただいたご縁、人との出会いと交わりのご縁──今日の私を形づくってきた「縁」は、数えきれないほどあります。その積み重ねの「縁」に支えられての自分の力なのだ、そのように見ていらっしゃるのだと思います。

ゆえに、日々「ありがたい」「おかげさま」「生かされている」 このような一言をしっかりと声に出していたいと思います。相手に対してだけの言葉ではなく、自分自信の心にも染み込む言霊です。私たちは、多くの縁に支えられて生きています。今の自分を信じて、できる一歩を静かにしっかりと進めて行きたいと思います。

これから年末年始、お忙しい日々が続きますが、どうぞご自愛ください。

令和7年(2025)12月1日