「のんのんばあ」と一畑薬師の由縁

「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる先生(本名・武良茂)の家にお手伝いに来ていた「景山ふさ」という実在の老婆です。この地方では神仏そのものや、神仏を拝む人を「のんのんさん」と呼びます。ふささんは、一畑薬師を熱心に信仰する「拝み手」の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれました。彼女は、しげる少年が四才のとき一畑薬師に連れてお参りし、たびたび妖怪やお化けの世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったともいえる人物です。
「のんのんばあ」は、松江市美保関町にある諸喰(もろくい)という漁村の出身で、十歳のときに現在の境港市に奉公に出かけ、ある時期より武良家のお手伝いさんとして働き、当時の三人兄弟の子守もするようになりました。
水木しげる先生の著書である「のんのんばあとオレ」は、先生の少年時代の楽しくまた切ない思い出がつづられているエッセイで、その不思議な魅力から漫画化やドラマ化を通してたくさんの方々に親しまれています。先生は、妖怪の絵やマンガをかくようになったのは、「のんのんばあ」がいろいろな妖怪を知っていて、それぞれどこにいて、どんなことをするのか、いわば実地で教えてくれたからだと、エッセイの中で述べています。
さらにエッセイでは、「のんのんばあ」の夫が、拝んで病気をなおす「拝み手」で、病人を救う仏様である薬師如来の代理人のようであったこと、島根半島の有名な一畑薬師の番茶を持ち帰って、それを小さな家の大きな祭壇の中央に置いていたこと、その番茶をこめかみや目につけて祈っていたこと、番茶は腐らないで万病にきくといわれていたことなど、興味深いエピソードが紹介されています。
漫画の中で、「のんのんばあ」が唱えている「おんころころせんだりまとうぎそわか」は一畑薬師のご真言そのものであり、このことから夫妻は熱心な一畑薬師の信者で、今でも中国地方を始め全国に多数存在する「一畑講社」の担い手であったことがうかがえます。
「のんのんばあ」は、貧しいながらも、いつも明朗快活で前向きに生きており、周囲の人々に多くの元気と勇気を与えてきました。しげる少年に、いつも妖怪やお化けの世界を語って聞かせていましたが、それは彼女が自らの人生経験で得た自然の道理や生きる信念を、わかりやすく説明したかったのだと思われます。彼女の、深い信仰心と強い信念が、しげる少年の人格形成に大きな影響を与え、この世に妖怪の世界を広めることにつながったと言えるでしょう。
妖怪の心のふるさとと言える「のんのんばあ」の、一畑薬師への篤い信仰を称え、その献身的な功績に報いるために、しげる少年とともに、ここに永く地蔵菩薩として祀り、もってこの地域の発展と参拝者の安寧を願うものであります。合掌

平成24年(2012)4月8日  のんのんばあまつり実行委員会